ブラームス交響曲第4番の解説
16日 3月 2024
ブラームスにとって最後の交響曲となったこの作品は、交響曲第3番完成の翌年1884年から1885年にかけて作曲された。 第2楽章でフリギア旋法を用いたり、終楽章にはバロック時代の変奏曲形式であるシャコンヌを用いたりするなど、擬古的な手法を多様している。ブラームス自身も、「自作で一番好きな曲」「最高傑作」と述べているほど、ブラームスらしさという点で筆頭に挙げられる曲である。

ブラームス交響曲第3番の解説
16日 3月 2024
ブラームスの交響曲の中で、最も演奏される機会の少ないこの作品だが、第1番や第2番と比べて「芸術的に完璧な作品として心を打つ。」と絶賛されるほど、初演は大成功を収めたとされている。

ブラームス交響曲第2番の解説
16日 3月 2024
前作の交響曲第1番と第2番は対称的な作品であり、作曲期間・曲調・楽章ごとの調性の3点によく注目される。まず第1番は作曲に20年以上かけたのに対し、第2番のスケッチは3か月ほどで完成し、第1番の完成(1876年)からわずか1年、 1877年10月に第2番は完成した。この作曲期間も影響してか、第1番が重厚で悲愴的なのに対し、第2番は流れるようで、どこかさわやかさすら感じさせる。

ブラームス交響曲第1番の解説
16日 3月 2024
この交響曲が作曲された当時は、ベートーヴェンの最後の交響曲(第9番:1824年)の完成からわずかであった。ブラームスはベートーヴェンを尊敬しており、それを超える交響曲を作ることになかなか意味を見出せず、作曲を始めてもプレッシャーとなり、約 20年にわたって試行錯誤を繰り返した結果、この最初の交響曲が完成したのは 1876年である。この時ブラームスは 43歳になっており、ブラームスの作曲人生は大器晩成型であった。

シベリウス交響曲第7番の解説
16日 3月 2024
交響曲第7番は、1924年3月24日 ストックホルムにてシベリウス自身の指揮で初演された。シベリウスが完成させた交響曲では、最後の作品となる。シベリウスの作曲した交響曲の中で唯一の単一楽章からなる交響曲であるが、当初シベリウスは三楽章構成で考えていた。楽章こそ単一であるが、伝統的な交響曲の各楽章の要素、性格(緩徐楽章、スケルツォ、フィナーレ等)が巧みに内包されている。

シベリウス交響曲第6番の解説
16日 3月 2024
この交響曲第6番の作曲は1914年ごろから第7番とともに第5番と同時期に行われていた。シベリウスの生誕50年を記念した第5番の作曲が優先であったため、完成までは時間を要している。もともとこの交響曲の楽想はヴァイオリン協奏曲とすることをシベリウスは考えていたが、この考えは早い段階で取り下げられており、交響曲としての作曲を進めていった。

シベリウス交響曲第5番の解説
16日 3月 2024
交響曲第5番は、伸びやかで祝典的な気分の交響曲である。第4番の作曲前に直面していた癌による死の恐怖から解放された喜びを反映しており、生誕50年を自らも心から祝うことができる心理状態になっていたことを物語っている。

シベリウス交響曲第2番の解説
15日 3月 2024
シベリウスの交響曲の中で人気の高い曲といえば・・・?好みは人それぞれだがやはり第2番がよく挙げられるだろう。私も初めてこの曲を聞いた時、第3楽章の終盤から第4楽章に入る部分で大いに感動した。わかりやすくかっこよい・・・さてそんな交響曲第2番の紹介に入る。

シベリウス交響曲第1番の解説
15日 3月 2024
シベリウスの作品は1890年代にはフィンランド人に広く受け入れられおり、この交響曲第1番と「交響詩『フィンランディア』」が続いて発表されたことで、フィンランドでのシベリウスの地位は確固たるものとなり、現代に至るまでシベリウスはフィンランドを代表する作曲家として親しまれている。